ひとりさんぽ。
今日は久しぶりにひとり散歩。
大好きなゼミの先生にお土産購入。
あぁ。なんだか吐き気がおさまらないよ…ぎもぢわるい
なんでかにゃー。
右手の痛みも治まらないので病院に行こうと思う。これは骨にひびが入ってるかもですなぁ。
アップテンポあっぷてんぽ。とりもどせー!
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落葉した銀杏の木のまわりにたたずむと、黄色いじゅうたんの上にいるみたいでなんか心地いい。
2人散歩もいいけれど、たまにはひとりで自分と会話しながら歩くのもいいね。
ちょっといいこと思いついたし☆
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人との繋がり方とか、仲間の形成の仕方とか、たくさんの方法があるんだろうけれど、
久しぶりにつまらない方法を見て、なんだかむなしかった。けど、懐かしかった。
たしかに私もああいう方法をとってたよね。
うーむ。美しくない。
前の日記の続き
そうやって筆を止めることは、私らしくないのかしら?とも思う。
みんなが言えない思いを言葉にすることで、救われる人がいるらしことを私はここ1〜2年で知っているから。
でも。
今は、本当に言葉が浮かばない。
そういう時期なんだと思う。
ん?
何を言いたいんだ?
言葉が浮かばないのが、悔しいのか。もどかしいのか、わたしは。
創作に専念できないことが、そういう環境にないことが、もどかしいのか。
5歳のころから約10年間。
週に3回の書道の時間。長期休暇は週10回以上の書道の時間。
とにかく、楽しかった。とにかく、とにかく、書いた。
やっぱり書道をまた、習い始めよう。
そういう場所がないと、わたしは揺らぐ。
嗚呼。
再び詩が書けるのでは、と期待していた私は甘かったのだろう。
スランプ、なのか何なのか。
今の私には、私を守ってくれる言葉が必要ないのかもしれない。
私の詩に感動して、ずっと会いたいと思ってくれていた人に会い、ありがたくも罪悪感にさいなまれた。
彼の目を見て
「私はもう、久しく詩を書いていません。」
とは言えず。
言葉を発することの重みを知り、私は詩を書けなくなった。
筆を持っても言葉は浮かばず、もうずいぶん筆を触っていない。
私たちが本気で口にしている言葉はどれくらいあるだろうか。
「死にたい」
「まじ鬱になる」
言葉にすることで、気を楽にしているのだろうけれど、本気で死にたいやつは言葉にする前に死んでいるし、鬱の人はそれに気づかない、ということを知ってからは、言葉にすることで何もかもが陳腐にうつってしまって仕方がなくて。恐れもあって。
私は筆を執ることが出来ないでいる。
模索の日々は終わらない。
生きてる証。
すてき動画。
日々の音色
I Gotta Feeling Black Eyed Peas live Chicago September 2009
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体調絶不調。
喉がはれて息がしにくい。
右手はぼろぼろ。
授業は断念。明日から行くべし。
力の抜きどころがまた、わからなくなってきた。
きっと、ボロボロになるまでやってみないと、私は学ばないし、気付かないんだろう。
ならば、いざ。
さっさと寝て明日に備えたいところですが。
やっぱ東京帰りにそのまま九大祭のあと、そのままゼミ合宿は無謀な気がしてきたが、
もう後には引けないのだ。
徹夜でゼミ合宿か?
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なんだか、不思議な感じ。
私がやっていたポジションの人はいなくて、
仕事の分け方が全然違う。
おもしろ^^
やっぱ私は組織には向いていないと思う。
んー。ちがうか。
人がマネジメントする空間が苦手。もっとうまくやれそうな気がしちゃうのな。
「男だけの組織はだめ」って聞いたけど、ほんとそれ思う。
もちろん、女だけの組織も、だめだけど。